オンライン麻雀戦術・牌譜検討&雑記ブログ

オンライン麻雀(天鳳など)の戦術を記したり、牌譜に関して様々なアプローチで検討します。しかし、最近は雑記がメインだったりします。来る者拒まず去る者追わずが信条のブログです。 
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鬼打ちをしてまた一つ麻雀を知る

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上のデータは27日と28日の天鳳特上卓においては個人的に始めての鬼打ちの東風戦計43試合の結果です。なぜ今まで天鳳特上卓に6ヶ月在籍しながらも一度も鬼打ちをしなかったかというと結局、ミスや振込みを極度に恐れていたので一日にあまり多く打つ気にならなったからでしょう。だから200試合とはいえこんな牌譜結果が出てしまう。結局私は「ラス回避バイアス」*1と言うものに過度に囚われていたのです。

しかし、もう少し勝ちに行くにはデータ的・心理的に見てあと一歩根拠ある踏み込みというのが必要ならしい。ですが、たまに数試合打つというスタイルでは実戦における抜本的な打ち方の改善は望めない事でしょう。なぜなら、結局実戦での打ち方を変えるには、牌譜解析で数値を理解して牌譜検討でミスを見直した後に実戦内でそれらを体感する作業を経ないといけなかったからです。そうでないと、いくら頭で自分の打ち方の改善点を理解したとしても実戦での打ち方は変わらないのです。

そして、ここで麻雀上達の規則とも言うべきものが見えてきます。つまり、実戦ばかりの人はたまには打ち方を変えるために実戦外で考える作業に時間を費やして、実戦外で考える作業ばかりをしている人はたまには鬼打ちをして実戦内で体感させる事が必要になるのです*2。上記の事は、物凄く当たり前の事で誰もが頭で理解しているのでしょうけど、結局体感しないと頭で理解するだけでは不十分なのです。

そしてもう一点、鬼打ちをしても実は一打一打に意識して考える時間を作るとあまり過度にミスは増えないという事も体感しました。つまり、鬼打ち時などの集中力が切れた時に必ず現れる、自摸る前から相手の捨て牌を考慮せずに打牌を選択してしまうあの状態を意識的に回避すればたまに一日数試合打つ時と大してミスの量は変わらないらしいのです。ただし、疲れで打つ気力が無くなったなら意識して考える時間さえも取れないので、その日に打つ事はすっぱりやめてしまいましょう。

この、頭で理解した事を実戦で体感するための「修正点確認作業」としての鬼打ちが必要な人は必ずいると思われるので、特にどうも実戦で多く打ち続けることに抵抗があるという人は今すぐ鬼打ちをやってしまうのが良いかもしれません。やってみると意外と心配していた事は起こらない「案ずるより産むが易し」という諺は、人間の心理を的確に現している諺の一つだと思いますから。

*1:特に天鳳の特上卓においてはこのバイアスに囚われて逃げ腰の人が意外と多いと思われます。そういった人にとってあと一歩根拠ある踏み込みが出来るかどうかというのが上達の鍵でしょう。

*2:ただしこの鬼打ちをするフィールドは、自分が実際に実戦で戦っているフィールドでないとあまり意味が無いらしいです。つまり、天鳳特上卓の人にとって麻雀ゲームや天鳳上級卓で鬼打ちしてもルールや相手の違いで頭で理解した修正点が浮かんでこない事でしょう。
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「蓬莱山輝夜=ニートキャラ」という図式が好きではない理由

*この記事の数%はネタで構成されています。そして麻雀とは全く関係ないです。


同人サークルの「上海アリス幻樂団」によって制作された一連の弾幕系シューティングゲームの総称を「東方Project」と呼び、その中の一人に「蓬莱山輝夜」というキャラクターがいる。そして、彼女は主に二次創作という場において「ニートキャラ」という扱いを受けている場面を多々見掛けるが、私にはその扱いがあまり好きではない理由が大きく分けて二つある。という事で、以下この記事ではその二つの理由について記述していく事にする。

1、東方の世界観やキャラ設定に起因する理由

まず一つ目は、東方の世界観やキャラ設定に起因する理由だ。そもそも、東方の舞台となる世界「幻想郷」は、我々が住んでいる現代社会と違って、何らかの職に就くために情報を収集したりスキルを高めたりして競争し合うという世界観ではなく、基本的にのんびりとしていて、たまにゲームの主題となる異変が起こる空想上の世界なのだ。そういった職を奪い合う必要の無い世界においてそもそも「ニート」つまり、「教育を受けておらず、労働をしておらず、職業訓練もしていない」という概念を持ち込む事自体がナンセンスな話だ。なぜなら、「幻想郷」という空想世界においては、その日暮らしをしているキャラクターが数多く存在するので現代社会における「ニート」という概念を持ち込んでまでその対象を明確に分ける必要性がないからだ。そして、そもそも「ニート」という概念内の要素である、その社会の構成員が受けるべき教育機関というものが存在しないし、彼女たちの能力や仕事と思われるものも先天的な要素が大きいので、後天的な職業訓練という概念が明確に存在し得るかどうかも怪しい。

また、「蓬莱山輝夜」がニートキャラという扱いを受けた発端は、まず一つ目は月世界においてお姫様として我侭し放題に育てられさらに引き篭もりがちであったという記述から、その後月を裏切り地上に移り住んだ際にも従者の「八意永琳」に生活を任せきりであったと考えられる点と、そしてもう一つは彼女が月に住んでいた際に自身が退屈だったのを環境のせいにしていたが、地上に住み変わっても退屈だったので、退屈なのは実は自分が何もしようとしなかったためであると気付き、自分がすべき事を模索しようとしているという記述があるからと考えられる。ここにおいても、一段落目の理由と同様に世界観がまるっきり違う「幻想郷」内において現代社会的な「ニート」という概念を持ち出すのはナンセンス以外の何者でもない。

こういった認識は、ゲームに付属の設定テキストを読むまでも無く少しインターネットで東方の世界観について調べてみると感じる事である。それならば、なぜ東方Projectの二次創作の作者はこのネタを使い続け、そしてそれを受容する者に「蓬莱山輝夜=ニートキャラ」という図式が受け入れられ続けるのだろうか、その主な理由は次に挙げる事だろう。

2、ルサンチマン的構造に起因する理由

ルサンチマン的構造というのはつまり、被支配者や(精神的)弱者が何らかの他者を叩かないと精神を維持出来ない構造の事である。この構造の元では社会的に弱い立場にあるとされている「ニート」は格好の叩き対象となる。そして、1つ目の理由で書いた「幻想郷」内のキャラ設定的な要因から「蓬莱山輝夜」というキャラクターは、現代社会的な「ニート」という概念を現代人に付与されて、そして叩きの対象としてのキャラクターに変容させられてしまったと考えられる。

多くの人間はそのニートキャラとしての「蓬莱山輝夜」を二次創作として見る事で面白いと思う事だろう。なぜなら、そうした行動によって自ら現代社会において物足りていない精神が充足されていると感じるからである。さらに言えば、現代社会の実在する人間へのニート叩きの原因もこれと同様のものだ。彼らは何かを叩かないと自らの足で立っている事が出来ないのだ。

そして少し考えれば分かる事だが、精神的に充足している知的能力が高い人間が何の理由も無しに社会的弱者と呼ばれている人間を叩く事があるだろうか。そんな事があるわけが無く、まず彼らはどういった理由で社会的弱者と呼ばれる立場になったのかという事を真っ先に考えて反応を返すであろう。というのも、そういった立場になった際の考え方や状況などの理由は、一個人が直ぐに考慮出来る範囲を超えて千差万別だからだ。社会が一般的な答えとして提示している「甘え」という理由を何も考えずにレッテル貼りをする事は頭を使わない人間のやる事である。もっとも、支配者や強者もこういった叩きをしないかというとこの限りではない。なぜなら、この世には残念な事に弱者叩きを利用しようとする連中も数多く存在するからである。

さらに言えば、こういった心理をも考慮しながら社会を見渡してみるともう少し人間の行動について深く理解出来るのかもしれない。そして、自分の行動をも省みる事が出来るようになるのかもしれない。



こういった文章を読んでも大半の人間は「冗談で言ってるんだからそんなに真面目に語らなくても」と思う事だろう。しかし、上記の事をある程度認識した上で冗談で言っているのかそうでないかという差は生きていく上で実はかなり大きな差だ。

輝夜さんの打牌考察と成績の因果への嘆き


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  └-iヽ::! r=       "" |::::!::::::::|:::| 
     .|::::7"   r─、    .レi::::::::::|:::|  ある程度時間を掛けて考える事で、
    レ'iゝ、   ヽ.__」   ,イ:::|::::::i::::|::::|  
      !::::!::i:>ー-r   i;:-!::::|::::::|::::|::::|  それらしい打牌の解答がいくら出せても
       |::::|::::::rイ´!__/  |::::ト.、::|::::|::::|
       |::::|>'´}><{.、  |::::|/ヽ:::|::::|  実戦でぱっとそれが出てこないと
      !ヘ|ヽ、/_」L_ゝ `ヽレ'   ';:|:::::|
      !/ !/  oio     i     ';::::::|  実際の成績には活かせないわ。
     /  r/'⌒i       !.     ヽ::::!
    / ,-rイ、___,ノ._     ハ       \!
    !/ | l ,ィ'l |o     _,.!',      `'r、
     |. | l'´::::l |<{_____,.イ'" ヽ::',      //、!
    ゝ、ヽヽ-'ハ_____,,.ハ__,.イヽ;\   //っ )
     !::7'ー´:::!:::::::::::::!::::::::::::::::ヽ;:`Y´「T´
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半年振りぐらいの三連敗目牌譜を検討

今から四日前ぐらいに、恐らく半年振りぐらいの三連敗を食らって少し見直すべきところが多かったので振り返ってみます。

http://tenhou.net/0/?log=2008121713gm-0061-0000-f20fd138&tw=3

東2局 ~七対子と面子手の分岐点~

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七対子の一向聴なうえに、を切っての受け入れを無くしてもで受ける事が出来るので、ここは切りの一手でした。

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先程の捨て牌はミスったなとぼんやり考えながら打ってたので、このをつい鳴いてしまう。対々和にいけない事もないですけど、殆ど1000点止まりでしょうし何より七対子の一向聴を崩して鳴く事もないかな。

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安手なので、一応立直が来ても降りれる牌を残してはいるけれどもお寒い結果に。

東3局 一本場 ~どの搭子を外すかという選択~

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ここで私は外しを選択しました。理由は、ドラ絡み搭子の筒子やぱっと見危ない索子を切りたくなかったからです。しかし、良く見てみると対面の捨て牌の2つのは自摸切りなのです。最初のが自摸切りかどうか把握してないのはしょうがないにしろ、二枚目のはしっかりチェックしておかなければいけません。さらにドラ表字牌がのうえに、最終手出しがという事で、実は索子より萬子の方が対面には危険なのでここでのは選択ミスということになります。

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親に和了られると2位が少し遠くなるので、対面が寧ろ2600点ならば差し込んでも良いかと思って切ったこの。はい、ご愁傷様でした<(_ _*)>

(補記)
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この局の対面のカンも思い切ってるよね。デメリットを考慮してもこの一巡を無駄にしたくなかったのかな。


東4局
 ~ただのミス~

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明らかにですね。もはやきっちり思考が出来ていない状態。

東4局 一本場
 ~ただの裏目~

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そして、ラス回避は終わりを告げた。

RSSリーダーで麻雀系ブログの記事題名一覧を比較してみると

私は様々なブログの更新情報をNewsFoxというFireFoxアドオンのRSSリーダーで取得しているのですが、先程何となく自分の題名の付け方と他のブログの題名の付け方の傾向を比較してみたくなったので、自分のブログのRSSもRSSリーダーに読み込ませてみました。(この一文が何を言ってるのか分からない人が結構いるのかもしれませんが、本題とは関係無いのでそういった人は読まなかった事にしてオッケーです。)そして、私のブログと麻雀系のブログの題名の付け方の傾向を比較するために一部画像として抜粋してみます。


私のブログタイトル一覧画像
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福地誠blog
タイトル一覧画像
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Polyhedron~オモウラ日記Returns~タイトル一覧画像
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一発ツモって裏乗って満貫タイトル一覧画像
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勝ち組の麻雀 麻雀日記タイトル一覧画像
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比較してみると一目瞭然ですが、私のブログの題名は無駄に長い、そして長いながらも漢字使用率も多いので無駄に堅い。勝ち組の麻雀 麻雀日記さんが少し対抗意識を燃やして(と恣意的に解釈して)題名が少し長めになっていますけどまだまだ使用語句の堅さが足りないですね(笑)

もちろん読む人にとっては、無駄に題名やら文章が長かったり、堅かったりしたら読みにくいのだろうと言う事は理解しているのですが、個人的にはある程度題名を読むだけで内容を予見してもらいたいですし(題名のみでは本文の内容が予見出来ないようして、読者に本文を読ませるという方法を取っている所もある)、何より漢字を使って少し堅めに文章を書く事の方が、最近は漫画を読むより文章を読む機会が多い自分にとっては心地が良いのですよ。

もっともブログなどのインターネットのコンテンツは容易に画像や動画情報を取り入れる事が出来るので、こうしてこの記事のようにちょくちょく取り入れつつ、いつの日か美しいながらも堅く読みにくい漢字を多く使って書くのに飽きてしまったら、もっとひらがなやら絵文字を取り入れて柔らかく書く技術も模索していくかもしれません。(しかし、インターネットの発達による言語の国際化によって日本語を使う機会がさらに減少してしまう時代はもう目前なのかもしれません(日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で)より)

そして、そういった見え方に関する事を色々と考慮しつつ、今日も無駄に長めに題名を付けるのでありました。

(あとこの記事には、ついつい作ってしまった「RSSリーダー」カテゴリー内の記事を増やそうというどうでもよい意図が少し働いていたりもする。)

麻雀ブログの勧め!&天鳳九段にちょっと一言&戦術の公開と合理的実践(コメント欄)

特に麻雀に限った話ではないのですけれど、自分が今少しでも時間を掛けてやっている事を書き残しておくという事は結構大切な事なんじゃないかなと思います。たかだか、一個人が書き残した文章でもその文章を読んだ人が、そこに書かれている事を知らなければ列記とした一コンテンツになりますし、全人類の知識共有と言う観点から見ても知っている事を死んでお墓まで持っていくのなら、生きている間に出来るだけ書き残しておいた方が良いというものですね。

そしてこと麻雀に関していえば、偉そうに戦術なり考え方をブログに記しておけば、いざ実戦においてもあまり下手な打ち方をするわけにはいかないですから、少し緊張感が出るというものです。それに、自分が打っていて迷った場面を皆に聞いて意見を求めようとする事も簡単に出来るわけですね。

天鳳で言えば、せっかく九段に昇段したというノウハウを持っている人がいるのに、そのノウハウを言語化して残してくれないというのは、書くも書かぬも個人の自由とはいえ、少し悲しい事です。

例えば、天鳳九段になった人に「〓松井CS〓」さんという人がいますが、確かに彼のお弟子さんが書き残したコンテンツはあるのですが(松井さんに教わったこと)、すでにこのコンテンツに書かれている内容もかなり前の考え方でしょうし、何より本人が書き残していないという点で、私はいつか「〓松井CS〓」さんが文章を書き残してくれたら良いのになぁと勝手に思っています。恐らく私なら、書籍として出版されても買うと思いますから(笑)。何といっても、彼と一度でも対戦出来たらいいなぁと思ったのが、天鳳を始めようと思ったちょっとした一因でもありますし。そして、見事に一度だけ対戦できたのですが牌譜を残し始める前だったので、現時点でその一戦の牌譜が残っていないのが少し残念といえば残念です。

そしてもう一人、天鳳九段になったけれどまだ明確に戦術を語っていない人に「国立君」という人がいます。彼は、恐らく私と歳は同じぐらいのはずですから、麻雀が上手くなるのもいいですけど自分にしか伝える事が出来ないノウハウを文章にする技術を習得するという事も大事なのではないかと思います。もっとも、こんな事を書いてもお前は何様のつもりなんだと思われそうですが(笑)それに、私みたいに無名状態から始めるのと違って、彼が何か文章を書き始めるのなら多くのブロガーに直ぐに受け入れてもらえる事でしょうし。

あと一人天鳳九段になった人に、「六分儀」君と言う人もいまして、彼はとつげき東北さんと関わりがあるそうなので、恐らく戦術なりを文章に残すだろうなと思っていたら本当にブログを始めていましたね(初中級者のための麻雀何切る問題集)。何でも、私のブログに初めてコメントを戴いた「質問厨」さんがその「六分儀」君だったとか。

どうも色々な所で話を聞く限りでは、麻雀界は意外と狭いらしいですから、麻雀についてブログを書いていると自分が知っている人も何となくふらりと訪れているものなのかもしれません。

それに、麻雀ブログ界隈の勢力が増したらそのうち、麻雀プロや少し年配の方の古い考え方や体質も変わらざるを得なくなるでしょう。もっとも、考え方が優勢でなくなるならばその考え方は時代の流れと共に消え去っていくものなので、時間が経つ事でもそのうち変わっていくものなのでしょうが、その変化に掛かる所要時間を少しでも縮める事は、多くの個人が行動するかしないかにも関わってくるとも思います。

行動経済学と合理的・感情的人間と麻雀の打牌選択

ネマー日記のまぁじゃんは人生(29)とそのリンク先の01さんの記事のギャンブル的側面30~を見掛けて、そういえば以前に行動経済学の考え方が麻雀に応用出来そうだなぁ、と考えた事があるのをふと思い出した。

行動経済学というのは簡単に説明すると、今までの伝統的な経済学が合理的で利己的な人間(自らの効用が最大になるように行動する)を出発点に理論を構築していたものを、心理学の知見を加えてより現実に存在する限定合理的で感情的な人間に沿った理論を構築しようとする経済学の一分野のことであります。

その中の理論の一つに「プロスペクト理論」と言うものが有って、これも簡単に説明すると人間が何か利得を得ようとする際にはリスクを回避するように行動して、何か損失が発生しそうな場合にはリスクを追求してでも防ごうとするという心理的要因や人間は現在所持している基準点に拘って判断してしまう(フレーミング効果)という効果などを研究して構築した理論の事です。もうこれだけ聞いただけで、普段から心理的な事についてあれこれ考えている人にとっては麻雀に応用出来そうだなと思うかもしれません。

こういった便利な学問が有る際に、研究者が率先して麻雀に応用して深く研究してくれれば良いのですが、いかんせん「お金」になりそうにないですから、そうしないのは人生のリスク回避的に言ってもしょうがないのかもしれません。こういう事を書いたらじゃあお前がやれと言う感じですが、まだまだ専門的な知識が足りないのが現状ですね。あと研究者じゃないですし。

そう言えば以前「型」について言及(既存の「型」に嵌ってしまうという失敗)した際に書き忘れていましたが、結局ある程度完成された「型」が出来ても、人間なんて直感やら最近の記憶やら自分が信頼しているある人が言っていた事というバイアス(偏見)に頼ってしまって全然合理的な選択をしないですから結局その通りに打てる人なんて殆どいやしないのよね。

もっともこのバイアス(偏見)と言うものは、何か起こった際に人間が瞬時に判断する際の基準となるものですから、物凄く悪いものかと言われるとそうでもありません。ただし、人が生きていく中で常にこのバイアスと現実との誤差を修正していくという作業をするのは必要な事です。

という訳で、長期的に天鳳R2100を超えてる人はかなりハイレベルに誤ったヒューリスティクス(簡便法)やバイアス(偏見)に囚われずに麻雀における合理的な打牌選択をしているんだろうなと思われます。とはいえ、現実の生活で起こる選択と、麻雀内で起こる選択は比べるまでもなく大きな差がありますから、麻雀の打牌選択でミスりまくっている人が現実の生活における選択でしっかりと判断できているかと問われるとどうなんでしょうね(笑)ちょっと研究してみるのも面白いかもしれません。(それぞれのやっている際の真剣度が違うと言う要因ぐらいは誰でも思いつきますが。)

(補記)
1、こういう学問的な事を麻雀に取り入れたコラムはネマー日記EXPO-01が粗方取り上げてるっぽいです。
2、あと01さんの記事内で見つけたのだけれども、さくらこさんがギャンブルと関連して少しこの理論について記述しています→ギャンブルの本質
3、ちなみに行動経済学の本では、行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)が面白いよ!というか今ちょろっと読み返したら、やっぱり麻雀に応用出来そうだなぁ。

実戦譜からのちょっとした反省点? 2&自分の現状を認めるという事

http://tenhou.net/0/?log=2008121521gm-0061-0000-f2defd9e&tw=2

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1、筋として当たるなら、58m69m58p25sの四つ(と言っても58pは無さそうだけど)。もしくは愚形。
2、殆ど期待は出来ないが和了ればトップ、流れても次局トップ目濃厚、和了られたら3位終了が濃厚。
3、放縦も7700点までオッケー。

現状トップならいかなかったし、これだけの条件がそろえばラスでも個人的に悔いは無いが、もしかしてきっちりと段位ポイント期待値と呼べるべきものを計算したら多少マイナスなのかもしれない。(特に高段者は)

・追記
結局次戦も負けて連敗してしまった。というか、連敗するのも三ヶ月ぶりか懐かしいなぁ。しかし、三日前の牌譜解析がやっぱり安定段としての最大瞬間風速になりそうだね(^ー^;)

自分の現状を認めるという事


そして、この牌譜解析が仮に麻雀の平均順位である2,5を割ってしまったとしよう。その時、私は麻雀ブログで麻雀観を語っていながらも、その事実を認めなければならない。もしも、「集中しながら打っていませんでした」などの類の言い訳をしても、仮にそれが事実だとしても、そんな事は誰も興味ないしそして聞いてくれはしないだろう。本人だけの事実として心の中にしまっておいて、他人の風評など聞かなければ良いだけの事だ。

しかし、実際には麻雀打ちに関わらずどの分野の人間においても、過去の栄光にすがる事や自分が偉そうな発言をしてしまったばかりに、今現在の結果や実力が伴っていない事で叩かれてしまう場合が数多く存在する。そういった時に、その叩かれている本人はその事実を認め相手を許すか、又は何か理由があっての事だと叩かれながらも我慢強く説明していくかという事が行うべき道であろう。

しかしながら、世の中には逆に相手を叩き返して争いの泥沼に嵌ってしまったり、現実の事実を歪曲して妄想を語り続けてしまうという人がいる。そういったタイプの人は、人間ならば当たり前の、自分の能力がどこかの分野で不足している姿を自覚するという事が我慢ならないので、事実を認める事もそして相手を許すことも出来ないのだ。

そして部外者からしてみれば、当事者達が相対化できずに本気になって自分の正当性を主張し叩き合っている姿を見るのは多くの場合滑稽だ。(もちろん自分に今起こっている事を100%相対化出来る人間などいやしないのだが、少し考えれば出来ることから深く考えないと出来ないことまでその中にもレベルがある。)感情的な叩き合いはエンターテイメントにもなりゃしない。

東風戦安定段八段のためのアンチテーゼ的な数値目標としての牌譜解析

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別に、東風戦で私の安定段が八段あるから凄いでしょ!という自慢的な記事ではなくて、天鳳特上プレイヤー牌譜解析ツールSSまとめ内にもいくつか安定段が八段出ている牌譜解析もあるのですが、私の牌譜解析はそれらの牌譜解析とやや特徴が違うので、こういった数値で打ってみても安定八段を出せるのではないかという、ややアンチテーゼ的な?数値目標の牌譜解析結果として、そして個人的な記録として何となく晒しておきます。

もっとも、天鳳特上プレイヤー牌譜解析ツールSSまとめ内の安定八段な牌譜解析の方は試合数も1000戦以上打っていると言う事ですので、どちらを参考にした方が良いかと聞かれるならば、そちらの数値を信じて参考にするべきだと私に限らず誰もが答えるでしょう。しかし、もし違ったアプローチでも安定八段が出せるのではないかと思っている変り種な人がいるなら、ちょっと私の牌譜解析の数値を見てみるのも面白いかもしれません。

そして個人的には、明らかにいくつかの数値がもう数百戦打てば収束してしまうだろうと言う事を理解している上で、この牌譜解析の成績が安定段としての最大瞬間風速に成らないという事を願うばかりです。
(もっとも、平均順位がもう少し低い時代も有りましたが、多くの読者にとっては退屈な昔話ですね。)

いつもの如く安定段計算は天鳳の安定段計算ツールをお借りしました。

(*追記)
といっても、私は麻雀を打ちながら打ち方を修正すると言うより、牌譜や牌譜解析をじっくり見ながら打ち方を修正するので、このたかが二百数試合の間にもかなり打ち方が変わっていて、数値として筋が一本通っているという訳ではないんだよなぁ。

ラス回避を重視するための基礎知識

現時点で、何とか東風戦のラス率が20%切っている私が、これを実践すれば長期でも恐らく東風戦のラス率が20%以下で推移出来るのではないか、と思われるラス回避を重視するための基礎知識を少し偉そうにも三点挙げてみます。

1、和了素点や放縦素点が低くなる方を選んでみる。

まずは、和了素点や放縦素点が低くなる方を選んでみると言う事ですね。要するに、高打点で和了って高打点で振り込む大味な麻雀は、トップ率が上昇する代わりにラス率も上昇するので止めてしまおうという事です。

実際、たかが200試合ですが私の牌譜解析天鳳特上プレイヤー牌譜解析ツールSSまとめ内の東風戦限定の牌譜解析を比べると、私のラス率と放縦素点は最も低く、和了素点は二番目に低いという結果が出ています。そして、"多分"放縦素点や和了素点の低さとラス率は相関していると思います。というか、そういうデータをどこかで見た事があるような気がしますけど、ここでは私の解析データと天鳳特上プレイヤー牌譜解析ツールSSまとめ内の解析データの比較だけで勘弁して下さい。

これはもちろん、狙えそうな手役やドラを無理やり捨ててでも和了素点を下げようと言う話ではなくて、もしも「打点は低いけれども早く和了そうな選択」と「打点は高いけれども少し遅くなりそうな選択」のどちらかを選ばないといけない場面においては、期待値的には多少不利でも、「打点は低いけれども早く和了そうな選択」の方をラス回避のために選んでみるという事です。

しかしながら、これらの選択間の速さや打点の差異や点数状況、場況などによって寧ろ「打点は高いけれども少し遅くなりそうな選択」を選んだ方がラスを回避しやすくなるという場面も当然あります。しかし、大体の場合は「打点は低いけれども早く和了そうな選択」を選んだ方がラスが回避出来る可能性は上がるというあくまで「基礎知識」という事でお願いします。

そしてこういう選択の場面はよく、ある牌を鳴くか鳴かないかという際に出てきます。そして、ラス率を下げるには体外鳴くという選択をした方が良いみたいです。しかしこれは、あまり和了れそうもなく安牌も持っていない状態で糞鳴きした方が良いという話ではありません。寧ろそれでは、放縦素点を下げるという方の実行がやや困難になってしまいます。

さて、その放縦素点を下げるためのポイントとしては親や染め手への放縦率を下げるという事も大事だと思いますが、それよりも放縦するかもしれない相手がドラを何枚持っているかという事を把握する方がもっと大事な気がします。ドラをポンしている相手には突っ張る事は殆ど出来ませんし、仮に聴牌しているだろう相手と勝負をするのなら、場に見えていないドラの枚数をきちんと把握して勝負するかどうか決めるという事が大切です。つまり、放縦素点を下げるためには見えているドラを数えるだけでなくて、どのプレイヤーにドラが入っていそうかと言う事を常に考えなくてはいけません。

(補記)
素点に拘る前に、基本的な押し引きが出来ているという前提がいりますね。

2、オーラスにラス目でも無理に突っ張らない。

オーラスでラス目だとどうしても和了らないとラスが回避できないという意識が強く生まれますが、自分の手が他家よりも明確に遅いと、もうそれは和了る事は殆ど不可能なので、自分が和了ろうと無理やり突っ込んで放縦してしまうのならば、2位や3位の人が放縦してラスに勝手に落ちてくるのを待った方が良いです。事実、私はそういう展開で結構ラスを回避していますし。

3、切れ打ちしない。

結局最終的には、これが大事ですね。私は相手が牛歩をしようともダブリー三面張が9順目辺張に一発で負けようとも切れることはありません(笑)麻雀で負けてしまうのは、自分ではどうしようも出来ない場合が多いですから、いちいち切れていてもしょうがないですし、相手が牛歩なら麻雀打ちながら何か他の事について考える時間が出来るから別にそれはそれでいいです。

それ程切れない私ですから、最後にちょっとイラッとした局も覚えています。それがこの牌譜の↓のシーンなのですが、

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この局までにも聴牌負けしまくって、この手を和了ると2位になるなと思っていたところでこの振り込みです。しかも振り込んだ相手は、後に気付いた事ですが、かの「和牛」さんです。つまりこの天鳳の製作者です(笑)約四ヶ月前に最後に麻雀でちょっとイラッとしたのがこの天鳳の製作者なのですから、何か不思議な感じがします。



他にも、ラス率を下げるためには立直率を減らすべきかどうかという議論が有ります。当然立直をすれば振込む機会が減るのですから、ダマを増やしたほうが良さそうですが、私は相手の動きが特に無く先制立直が打てるのならば、殆どの場面で立直を打つべきだと思います。

立直を掛ける効果には打点を上げる事以外にも相手を抑止するという効果があります。特に天鳳の特上卓に関しては、ラスを引かないように打っている人が多いので、立直に対して前に出てくるという人が殆ど出てきませんから、立直をして和了る事+そのまま流れる事のアドバンテージ面を考えたら、ラス回避を重視するにしても立直は割と積極的に打つべきだと思います。ただし、自分の立直とぶつかりそうな相手の手が高打点で自分の手が特に安手の時や立直による抑止があまり効かない状況では、平均順位重視の人以上に立直を打つべきではないでしょう。

もっとも、ラス回避型の人は同時に副露型でもあるので、そこまで立直率が高くなるということもないのですが。
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